和治1603Japan 第一稿 ご相談・お問い合わせ
Story

物語

なぜ、1603年か。江戸・三河・津軽 ―― 三つの土地が、一本の扇子でつながる物語。

 なぜ、1603年か
1603

1603年、徳川家康が江戸に幕府を開きました。故郷・三河からは多くの職人が江戸へ移り、のちの「江戸扇子」が育ちます。そして同じころ、北の果ての津軽でも、この年をきっかけに、ひとつの物語が動き出していました。

江戸・三河・津軽。関わりのなさそうな三つの土地が、一本の線でつながっています。

 三河・江戸・津軽

三つの土地の、1603年

東海道五十三次 岡崎(三河)
Mikawa

三河

徳川家康の故郷。家康は身内である三河松平の一族を大切にしました。のちに津軽へ嫁ぐ満天姫(まてひめ)も、この一族に生まれます。

歌川広重「東海道五十三次・岡崎」PD
日本橋 雪晴(江戸)
Edo

江戸

1603年、家康が幕府を開きます。三河から来た職人たちが、江戸で扇子づくりを育てました。骨は少なく親骨は太い、一人の職人が全ての工程を担う「江戸扇子」です。

歌川広重「日本橋雪晴」PD
津軽藩祖 津軽為信 像(津軽)
Tsugaru

津軽

北の小さな藩。関ヶ原で敗れた石田三成の娘・辰姫(たつひめ)が、この津軽家に身を寄せていました。津軽のねぷたは、扇の形をした「扇ねぷた」です。

津軽藩祖・津軽為信像 PD
 敵同士の血が、津軽で交わる

関ヶ原の敵が、孫の代で手を取り合う。

関ヶ原で、徳川家康と石田三成は天下をかけて争いました。勝った家康は江戸に幕府を開き、負けた三成の一族は各地へ散ります。その二人の血が、北の津軽で出会います。

関ヶ原合戦図屏風
関ヶ原合戦図屏風(江戸期)— パブリックドメイン
徳川家康 肖像画
徳川 家康三河の出/江戸幕府を開く
×関ヶ原
石田三成 肖像画
石田 三成関ヶ原で敗れる

肖像画はいずれもパブリックドメイン(江戸期の作)。

家康の養女・満天姫(三河松平の血)は、1611年、津軽2代藩主・信枚(のぶひら)に嫁ぎました。一方、三成の娘・辰姫は、同じ信枚の側室として、すでに津軽にいました。やがて、二人の子が生まれます。

徳川 家康三河の出。江戸幕府を開く
× 関ヶ原
石田 三成関ヶ原で敗れる
養女 満天姫 ↓↓ 娘 辰姫
津軽2代藩主・信枚 ―― 満天姫を正室に、辰姫を側室に
↓  子の代  ↓
信英(のぶふさ)満天姫の子=家康の孫。黒石に分家を興し、兄を支える
信義(のぶよし)辰姫の子=三成の孫。津軽3代藩主に
敵同士だった二つの血が、津軽で争わず、手を取り合った。

家督を継いだのは、三成の孫・信義。弟で家康の孫・信英は、これを支えました。
この和解には、満天姫の存在が大きかったといわれています。

 いま、津軽と三河をつなぐ

400年後の、要(かなめ)。

扇子は、開けば末広がり。津軽の扇ねぷたのように、扇には人の志を託す文化がありました。「開くほどに、未来が広がる」――そんな縁起の道具です。

この物語に重ねて、齊藤和治は「和治1603Japan」を立ち上げました。津軽と三河をつなぎ、日本の伝統文化と、受け継ぐべき職人の技術を、次の世代へ。扇の要のように、人と人をつなぐ存在でありたい――その願いを、一本の江戸革扇子に込めています。

過去から未来へ。要となり、風を起こす。— 和治1603Japan 齊藤和治
 手仕事 — 革と、江戸扇子

江戸扇子は、京扇子とは違います。骨は少なく、親骨は太い。そして一人の職人が、全ての工程を担う。開けば「パンッ」と鳴る、その潔さが「粋」です。

その扇子を手がけるのが、江戸扇子マイスターの松井宏。骨づくりから地紙貼りまで、多くの工程を手作業で仕上げます。

ここに、葛飾レザーの革を合わせました。革は使うほどに手へ馴染み、色を深めていきます。表は革、裏は和紙 ―― EDO ALL MADE TOKYO。裏の和紙文様は、お選びのお色ごとに決まります(千歳緑=七宝、烏羽=麻の葉、茜=紗綾形、濃藍=青海波)。職人が一本ずつ仕上げるため、同じ模様は二つとありません。

扇面SENMEN / 革・和紙 親骨OYABONE 中骨NAKABONE 要(かなめ)
江戸扇子の構造 — 扇面・親骨・中骨・要(イラスト)
BRAND MOVIE  /  つくる、伝える

一本が、生まれるまで。

江戸革扇子の手仕事
松井宏 × 葛飾レザー ── 一本の江戸革扇子が生まれるまで(動画準備中)
風を贈る。歴史を纏う。
和治1603Japan

これは第一稿(叩き台)です。写真・価格・購入導線・ロゴ・問い合わせ先はすべて仮置きで、確定情報が入り次第、差し替えます。文中の歴史記述はブランドストーリーとしての表現を含み、細部には諸説あります。